チョコレートの起源と歴史を探ってみたらスペインによるアステカ帝国征服からだった

消費量が近年上昇しているチョコレートについて、その起源やヨーロッパに普及した歴史を紐解いてみました。意外なのは最初は飲み物だったということです。

そんなチョコレートの原料のカカオを発見したのはスペインのコロンブスなのです。中南米の先住民の貴重なカカオはどうやってヨーロッパに普及したのかというと、アステカ帝国を滅亡させたのはスペインだとわかりました。そこから現在のチョコレートができるまでを調べてみました。

チョコレートの起源は太古の昔の中南米

チョコレートの写真
チョコレートと言えばイメージするのは固形物ですが

チョコレートの原料といえばカカオです。まずはそのカカオについて触れなければなりません。

BC2000年頃にはカカオはメソアメリカ(中米古代文明圏)で自生していました。当時カカオ豆は貴重で30粒でウサギ1匹、100粒で奴隷1人の価値がありました。

15世紀まで長い間貨幣として使われたのです。

チョコレートはマヤ・アステカ文明では飲み物だった

アステカ・マヤの先住民のイラスト
マヤ・アステカの先住民のイラスト

貨幣として使われてきたカカオに変化が起こったのはマヤ、アステカ文明の時代になってからです。

アステカの国王モンテスマ2世は1日に50杯のチョコレートドリンクを飲んだとされています。

飲料というより薬や精力剤として飲んでいました。なぜならば当時はカカオをすりつぶし、トウモロコシの粉と唐辛子等のスパイスを混ぜたドリンクでお世辞にも美味しいものでは無かったのです。

チョコレートをヨーロッパに普及させたのはスペイン人

スペインの探検家コロンブスの銅像
スペインのコロンブスの銅像

16世紀にスペインのコロンブスがカカオの第1発見者になります。1502年の最期の航海でのことです。(コロンブスの息子の記録による)

1519年にスペインからエルナン・コルテス達がアステカにやってきて、モンテスマ2世の宮殿でチョコレートドリンクに出会います。`

エルマン コルテスのメキシコにある銅像
Statue of Hernan Cortes, Mexico conqueror,

その後、カトリック教の布教のために多くの宣教師がやってきます。イエズス会の神父のホセ・デ・アコスタはこう書いています。

非常に不快な味のするかすや泡があり、体験したことがないほど気分が悪くなる。だが現地の者たちには大変尊ばれており、高貴な来訪者をもてなすのに用いられる。この国に慣れ親しんだスペイン人ならば男女を問わずこの飲み物に貪欲となる。彼らはそれを飲むことで暑さや寒さその他さまざまなものが和らぐと言い、唐辛子を大量に入れる。さらに胃腸に良くカタル予防になると肌にも貼り付ける。

先に書いたエルナン・コルテスらコンキスタドール達の私兵部隊は1521年からアステカへ武力侵略を開始し滅ぼしてしまいます。

近隣の先住民の国々はコンキスタドールに滅ぼされますが、1528年にコルテスはスペインへカカオを持ち帰り国王カルロス1世に献上します。尊い人命と引き換えにチョコレート飲料はその後、マヤ族がスペインの皇太子に貢物として容器と共に飲料として届けられました。

参考までに当時のスペインは南アメリカ、中央アメリカの大半、メキシコ、北アメリカの南部と西部、フィリピン、グアム、マリアナ諸島、北イタリアの一部、南イタリア、シチリア島、北アフリカのいくつかの都市、現代のフランスとドイツの一部、ベルギー、ルクセンブルク、オランダを領有していました。まさに陽の沈まぬ国でした。世界でスペイン語圏が多いのがこの事実からわかると思います。

ここにヨーロッパにチョコレートの原型が伝わったのです。それから現在の固形のチョコレートになるまではまだまだ年数がかかります。

スペインでチョコレートは進化した

スペインの攪拌棒(モリニーリョ)
実物の攪拌棒 出典 阪急百貨店バレンタインチョコ博覧会2019内の株式会社前田商店

元来、チョコレート飲料は香辛料と混ぜて飲んでいたのですが、スペインでは飲みやすくするために様々な工夫がされました。

  1. お湯で溶けやすくした
  2. 砂糖を使って甘くした
  3. モリニーリョ(攪拌棒)で泡立てた

チョコレートポットの登場攪拌棒とチョコレートポットで良く泡立てればカカオのザラつきが取れ、飲みやすくなった

実際のチョコレートポット
当時のチョコポット 出典 阪急百貨店バレンタインチョコレート博覧会2019 株式会社前田商店

それ以外にスペインでは牛乳やシナモンや胡椒も使われた。(唐辛子は貴重品のために手に入りやすいスパイスが使われた)

まだまだ高級で庶民の味には程遠いチョコレートですが、この後、スペイン王女の結婚を契機にフランスへ広まります。

チョコレートがフランスに伝わったのは結婚がきっかけ

スペインで飲み物として貴族階級に普及しつつあったチョコレートは、王女アンヌ・ドートリッシュがフランス王と結婚します。これによってチョコレートはフランスに伝わりました。

16〜17世紀のあいだにスペインをはじめ、ポルトガル、フランスの王侯貴族や聖職者の間に広まっていきます。まだまだ高級品です。

この頃に高貴なご婦人方の高価なドレスを汚さないように工夫された独特の形をしたチョコレートカップも作られます。襟付きタイプはマンセリーナ、すっぽりタイプはトランフルーズと呼ばれます。

チョコレートドリンクのカップ
18〜19世紀のドイツ製のチョコレートカップとマイセン製のポット 出典 阪急百貨店バレンタインチョコレート博覧会2019 株式会社前田商店

また、携帯用にお湯で溶かして飲めるタイプの固形チョコも出てきます。でも、今のように食べれる物では有りませんでした。

それから、イタリア、オーストリア、ドイツなどのヨーロッパ各地にチョコレートは広まっていきます。

当時スペインと覇権を争っていたイギリスも1655年にカカオ栽培が行われていたジャマイカを植民地にしたことで、普及し始めます。チョコレートハウスと呼ばれた市民たちが政治や文化などを語り合う社交場の始まりです。

とは言え高価な飲み物だったため利用するのは一部の裕福な市民のみでした。

まだ、この時代でも現代の食べるチョコレートは誕生していません。時は19世紀になりました。

チョコレートを進化させた四大発明とは

19世紀に入ると産業革命の影響で、水力を利用した産業機械が開発され、家内工業的なチョコレート製造から本格的な動力へと進化します。

その背景もあって現在の食べるチョコレートの進化への過程での革命がおこります。俗に言うチョコレートの4大発明です。

  1. ココア
  2. イーティングチョコレート
  3. ミルクチョコレート
  4. コンチェ

ココアの発明

スペインに渡って砂糖やミルクを入れる飲み方でおいしくなったチョコレート飲料ですが、まだまだ問題点がありました。

当時のチョコの問題点

  • 水やミルクに混ざりにくい
  • 酸臭がきつかった

カカオ豆に含まれている約55%のココアバターは油脂分が多くて水やミルクと混ざりにくく、撹拌棒で混ぜていなければすぐに分離して飲みにくい飲み物でした。せっかくの味も台無しです。

また、カカオ豆を発酵させる過程で生成された酢酸などの有機酸が残っており、酸味が強い飲み物でした。

このことはあったかい飲み物の場合は、湯気とともに立ちのぼる酸臭は鼻をつきせっかくのチョコレートの風味を損ねました。

これを解決したのがオランダ人のバンホーテンです。今もココアで有名ですね!

1828年に特許を取得した技術が飲み物から現在のチョコレートにつながる架け橋になっていきます。

バンホーテンの功績

  • 酸味を減らした
  • 混ざりやすくした

バンホーテンは酸味の強いチョコレート飲料をアルカリで中和することで刺激や渋みを減らし飲みやすくしました。

アルカリ処理(アルカリゼーション)といって色目も深みも出て、味もマイルドになりました。この製法は「ダッチプロセス」と呼ばれ現在でもココアの製造法の基本となっています。

そしてもう一つはカカオ豆を搾ってココアバターを部分的に取り除く圧搾機を開発しました。

もともとはすりつぶしてできたカカオペーストは約55%のココアバターを含んでいますが、この機会のおかげで28%まで減らすことが出来ました。

この取り除いた27%ほどの固形分を細かく砕いて粉末にしたものがココアパウダーです。

ココアパウダーは油脂分が少ないので湯と混ざりやすくなり、飲み物としてのココアの始まりになります。

もちろん、残ったカカオペーストも油脂分が減り溶けやすくなりました。チョコレートにとってオランダのバンホーテンは神様の存在といえます。

イーティングチョコレートの発明

その後、1847年にイギリスのお菓子職人のジョセフ・フライが初めて食べるチョコレートを発明したのです。「飲むチョコレート」から「かじって食べるチョコレート」の登場です。

イーティングチョコレートはカカオ豆と砂糖をすり潰して、そこへココアバターを加えて作られました。バンホーテンの発明の中のカカオ豆から取り除いた副産物のココアバターを使った点です。ミルクではなかったのでビターな味でしょうか。

味はさておいて「食べるチョコレート」の出現は携帯もでき、保存もできたのでその後のチョコレートの進化に大きく貢献することになります。

ミルクチョコレートの発明

イギリスのイーティングチョコレートですが、飲むチョコレートではミルクを入れて飲むことが当たり前でした。もちろん、バンホーテンのココア飲料も19世紀でもミルクを入れて飲むことが一般でも当たり前でした。

では、なぜイーティングチョコレートにはミルクを使わなかったのでしょうか?

その答えは当時はまだ粉ミルクが発明されていなかったのです。水分の多いミルクを使うとすぐにカビがはえたり、腐ったりします。またココアバターとなじみが悪く流動性を無くしてしまうのです。

スイス人のダニエル・ペーターがチョコレートと濃縮ミルク(加糖練乳)を混ぜたものを水力を使って機械で長い時間混ぜ、その後に冷やして固めるという製造法を考案したのです。

温めて混ぜている間に水分を蒸発させてミルクの粒子を細かくし、それがココアバターの中に閉じ込めたのです。それから冷やすことでミルクの成分がココアバターの結晶の中に溶け込み、結果ミルクチョコレートになったという原理です。

1876年にミルクチョコレートが発明されたのです。

この画期的な発明は1866年にアングロ・スイス練乳会社が長期保存できる練乳を開発していなかったらなし得なかったのです。かき氷で普段食している練乳も画期的な発明だったわけです。

この第3の発明でビターなチョコレートはマイルドになりました。そして第4の発明です。

コンチェの発明

ココア、イーティングチョコレート、ミルクチョコレートと発明は続きますがまだまだ舌触りはザラザラしたものでした。なめらかさを持った現在のチョコレートになる発明を1879年にスイス人のロドルフ・リンツが成し遂げます。

それはチョコレートを製造する際にココアバターを均一に行きわたらせる攪拌機のことです。

リンツはメソアメリカでカカオやトウモロコシをすりつぶすメタテとマノの原理に注目し、その原理を応用しました。

メタテに見立てた浅底の容器(コンチェ)にチョコレートを入れ、容器内で石のロールを転がしてチョコレート内のカカオと砂糖をもっと細かい粒子になるまで砕いたのです。これによって舌触りが抜群に良くなりなめらかな食感になりました。チョレートの水分もさらに取れて流動性も良くなり、後々の型への充填作業も楽になったわけです。コンチェの発明によって現在のチョコレートが確立したと言えるのです。

チョコの歴史のまとめ

現在のメキシコに当たるメソアメリカのアステカ帝国に起源する「ショコラテル」ですが、最初は王様の滋養強壮の飲み薬だったという事実。その後、コンキスタドールによって滅ぼされたアステカのカカオはスペインへ渡り100年あまりスペイン人だけのものでした。

チョコレートはまだザラザラした飲み物だったのです。スペイン王女のフランス王との結婚を契機にヨーロッパ上流階級に普及したチョコレート。イギリス、オランダ、スイスの職人や技術者によってチョコレートの4大発明を経て19世紀から現在に向けて食べるチョコレートに進化しました。

今や健康にもその成分のポリフェノールが良いことで年々、生産量と消費量は増えてきています。が、カカオを作っている生産農家は低賃金で貧しいのが現実です。消費を謳歌するだけではなく、生産者の救済も考えなければと思いチョコレートに関して書いていきます。

うまいもん巡り

Posted by yoshimura