1/700の艦船 連合艦隊 戦艦日向

プラモデル
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連合艦隊 戦艦 日向のプラモデル

昨夜は”航空母艦赤城を作る”のストック写真を準備し今夜から遅ればせながら製作記事を書こうと計画。

モチベーションがあがってきたので今日は午前中にジムに行き、胸のトレーニングとジョグ。昼から事務所で1/700の艦船の写真を撮影。

そろそろ会社の応接横の展示台の艦船達も見飽きたので、戦車に交換ですね。

今日はその準備も有って写真を撮りました。

実は最近お世話になっている摂津水都信用金庫の東淀川支店の支店長さんがAFVマニアなのです。もっとすごいのは鉄道マニアでもありフルスクラッチで真鍮製で機関車も作られているとか。僕は製作が大の苦手。うらやましい限りです。

AFV(戦車等の事)はアメリカ軍のM4シャーマンが大好きとか、これも非常にマニアックです。僕はソ連のT34が大好きなんですが。

マニアックさでは良い勝負か。話はそれましたがその支店長に将来見てもらう為に展示台を戦車やディオラマに変えようと思います。

これから赤城も作らなければならない上に戦車も完成させなくては。何かやる気がわいてきました。)

連合艦隊 戦艦日向ディオラマの設定

昭和17年6月の戦艦日向という設定。5番砲塔の事故で急遽、砲塔を撤去、その後25mm3連機銃4基を設置した姿です。瀬戸内海に停泊中としましょう。

日向の勇姿。

昔の東宝の特撮映画調です。

戦艦日向について

大日本帝国海軍の戦艦。伊勢型の2番艦。1918年(大正7年)4月30日就役。元々は扶桑型戦艦の4番艦として着工の予定だったが財政事情により大幅に遅れたので扶桑型の欠点を改善し主砲の位置が変更されている。

2度の砲塔爆発

竣工後、戦艦長門が竣工するまで連合艦隊の旗艦を勤めた。しかし、就役直後の大正8年10月に演習中に第3砲塔の爆発事故を起こし、昭和17年には演習中に第5砲塔の爆発事故と問題の多い艦であった。

航空戦艦に改装〜終焉

後部の5番6番砲塔を撤去して格納庫、飛行甲板を設け航空戦艦となる。と言っても航空機の着艦はできず、艦載機は他の空母や陸上基地への帰還のみである。もてざる国の悲しさである。名前はカッコ良いのだが、空母でもない中途半端な艦船であった。資材運搬には活躍したようだ。ただ戦後の1947年に解体されるまで生き残った幸運な艦艇でも有る。 最後にもうワンショット。

少しくたびれているかな、日本海軍らしくて良いかも。

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